Season Of 2004


マリーンズの2004年シーズン総括。書きたいと思ってはいたけど、ずっと書けずにいた。


たぶん俺はマリーンズの2004年シーズンと、その時間を皆と共有したあの時の自分の感情を一生忘れる事は無いと思う。
とにかく強烈な体験だった。だから書けなかった。書きたいという気持ちはあったけど何から書いていいのかもわからなかった。


2005年のシーズンが始まろうとしている今、気持ちも落ち着いた所で少しずつ書いてみようと思う。
2004年に感じた事を、より鮮明に記憶に留める為にも。





ボビー・バレンタイン


俺はボビーがきっかけでマリーンズが好きになったといっても過言では無い。
1995年当時、ボビーバレンタインは千葉ロッテマリーンズというチームを最もわかりやすく表現するアイコンだったと思う。
少なくとも俺の場合、伊良部秀樹でもフリオ・フランコでも初芝清でも無く、きっかけはボビーだった。


球場に足を運び出したのは夏前くらいだったと思う。選手の名前は殆ど知らなかったけれど「いいチームだ」と思った。
そして、その中心には最高に格好良い指揮官がいた。
球場に通うにつれ、球団に対する認識が「弱いロッテ」から「千葉のマリーンズ」に変わり、シーズンが終わる頃には球団への愛が芽生えてきた。
でも、その年の終わりに、大好きなボビーは球団を追放されてしまった。
たった1年。でもその1年は重かった。2004年までずっと、あの年の体験が忘れられずにボビー・バレンタインという幻想を追い続けてきた。



2003年後半。「ボビーがロッテに戻るかもしれない」という話が湧き上がり、日が経つにつれそれは現実味を帯びてきた。
いてもたってもいられず、球団との交渉の為に来日したボビーに会いに成田まで足を運んだ。
大勢のファンが空港にはいた。そして彼らの中に入り来日したばかりのボビーに声援を送った。何が何でも彼にマリーンズの監督をもう一度引き受けて欲しかったんだ。


2004年ボビー・バレンタイン千葉ロッテマリーンズの監督に復帰した。
ボビーは1995年当時よりも老けてはいたが、やはり最高に格好良かった。彼が復帰していなかったら、昨年球場に足を運ぶ機会は少なかっただろうな。





黒木知宏


ボビーが復帰したとはいえ、開幕当初はさほど球場に足を運んでいなかった。
理由は、激務と過度のプレッシャーによる不安定な精神状態で仕事以外は半ヒキ状態だったから。


でも、ジョニーの復帰戦の日はそんな事を言ってられなかった。
空アポを入れてチケットを購入し、次の日東京ドームに足を運んだ。
そして、彼の後姿を見て自分の中で何かが変わった。





■合併?


この話題はもう書きたくないけど、2004年シーズンを語る上では避けては通れないと思う。
千葉ロッテマリーンズが消滅するかも知れない、という可能性が出てきた時には、もう精神状態が滅茶苦茶になった。
この時の感情が、メチャメチャ好きだった子にフラれた時に酷似しているのに気づいた時、自分はチームを愛しているんだなぁという事がはじめてわかった。
そして、生きている間に千葉ロッテマリーンズの優勝を見たい、という俺の長年の夢を破壊しようとしているクソ野郎に殺意を覚えた。


昨年までだったら「球団への愛」なんていう言葉恥ずかしくて書けなかったよ。
幾つかのチームは不幸な結末を迎えてしまったので手放しには喜べないが「とにかく合併しなくてよかった・・・」これが本音。





プレーオフ権を巡る争い


「マリーンズの2004年シーズンと、その時間を皆と共有した自分の感情を一生忘れる事は無い」と冒頭に書いたが、その最も大きなな理由がこのプレーオフ権を巡る争いを体験した事。
特に9月11・12日の対日本ハム戦、9月20日・21日の対西武戦は衝撃的な体験だった。


1995年から今まで、勿論真剣に応援はしてきた。
でも、上記の試合はファンにとって完全な未体験ゾーン。優勝を掴む為の真剣勝負への初めての参戦。
とにかく強烈だった。



[9月11日]


9月11日は2つの理由で俺にとって非常に大きな意味のある1日。
1つ目は2001年9月11日。そうあのNYテロが起こった日。俺は現地で信じられない光景を眼にして、ただ愕然としていた。
2つ目は2004年9月11日。対日本ハム戦@千葉マリン。シーズンの明暗をかけた最終決戦の始まり。
2つの出来事に何の共通点も無いが、何という巡りあわせだろう、と思った。


この時期は激務もピークを迎え体が本当にキツかった。球場で場所を確保した後は、開門までは地べた睡眠。連れからは「みっともない」と言われていたが限界だったのだから仕方が無い。
でも、この日は不思議と眠くはなかったな。気合十分。
そして試合開始。


この日の小笠原の信じられない2エラーは、きっと野球の神様の仕業。
最後の瞬間まで諦め無かったマリーンズファンへのささやかなご褒美かもな。


そして、試合を決めたあまりにも呆気ない垣内のサヨナラホームラン
ひとしきり皆と抱き合った後、「今まで最高っていう言葉の意味知らなかったよ!!」と俺が叫んだら、何人かが同意してくれたな。
本当に最高だった。



[9月12日]


試合前、球場に到着した小林雅英に「マサ頼む!」と大声で叫んだ。「うん」という感じで小林が力強く頷く。
その時は気づかなかったが、凄く異様な光景。
いつもなら球場入りする選手を見ても声などかけないし、普通の日だったら小林も無反応だったんじゃないかな。
選手もファンも浮き足立っていたのかもしれない。サッカーでならWCに出場経験の無い国みたいな物なのだろうか。
そんなマリーンズに野球の神様は微笑まない。高橋信二にやられたのもなにかの因縁かな。最後までこいつにやられっぱなしだった。


それにしても9回の裏の福浦への大声援は凄かった。
勝ちたかったよなぁ・・・。



[9月20日]



続き&校正は明日。寝る。